参加指南書
『会津東山療養期』は、言うなれば斎土の宝庫です。
宇都宮戦争
土方は宇都宮城攻防戦で足に銃弾を受けて負傷し、会津に搬送された後、投宿とした七日町の清水屋旅館から東山温泉に足しげく通ったとされています。
伝習隊
土方が新たな戦場として頼った大鳥圭介率いる部隊との合流。
この関係性もあってか、土方は会津の新選組と別れることになります。
近藤勇の死
療養中、土方のもとに野村利三郎がやってきて近藤勇が処刑されたことが報じられます。土方は流山の後、勝海舟を通じて助命の手紙を送っていたため、それらが無念の結果となったことを知らされます。
負傷した土方の病
療養期において一番の見どころともいえる痛ましい土方の姿。いくら精神つよつよなえふご方さんであれ、仲間の訃報もあり、身心ボロボロなのは確実でしょう。ちなみに各時代小説でも、この期間に破傷風や『労咳説』など、さまざまな描かれ方をしています。
沖田総司の死
別れは近藤勇だけでなく、
病床にいた沖田総司も、この期間中にひっそりと息を引き取っています。
土方は仙台へ
いよいよ会津戦争が勃発し、
斎藤は会津藩にて新選組の隊長代理を務め、土方らが仙台へ転戦した後も、そのまま会津に残り続けます。こうして二人は離別するのです。
主にこのような、ある意味『新選組の終焉』に興味がある方はぜひとも筆を摂って戴くと助かる命がここにあります。
どうぞ、振るってご参加ください。
?こういう東山は大丈夫ですか?
『近藤勇の墓』には京都にさらし首になっていた近藤の首を斎藤が取りに行き、 その首を墓に葬ったとも、遺髪のみを埋葬したとも言われている。
異聞『近藤の首』
三か月という長い療養期間や史跡に残る顔色の悪さから、土方は労咳ではないかと池波正太郎は『色』で語り、『散華 土方歳三』(萩尾農著)では禁断の異説を取り入れている。
異聞『土方歳三労咳説』
生前の記録
死に際に斎藤を想う、
最期の希望。一抹の後悔。
それらを抱えた
藤田五郎の回想録。
特異点の記録
どこかの特異点での、
どこかの二人が体験した
東山の追体験。
カルデアの記録
どこかの拍子に、二人は生前を懐古する。
今は昔。新たな時代を
見つめる者達。
異世界の記録
そこには、それらを体験
してはいない二人がいる。
転生、異聞、記憶喪失。
ふと思い出すは、幸せに混じった痛ましい記憶。